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太平洋戦記3  いよいよ開戦です

1942年一月 開戦までなるべく引き延ばしたい私は宣戦布告もせずにひたすら原油の備蓄

ついに 米・英・蘭・豪から宣戦布告布告されました。 

①高雄に待機していた空母機動部隊3艦隊のうち 2艦隊はブルネイ、クチンが攻略目標 1艦隊はタラカン、バイゼルマシンが、 つまり原油・製油所の確保に動きます。上陸部隊は別編成で2部隊です。

編成内容は 機動部隊は 空母6 戦艦1 巡洋艦2 捕鯨母艦1 駆逐艦8   上陸部隊は輸送船プラス 駆逐艦8 巡洋艦2 護衛空母1 
潜水艦対策は過去の苦い経験から万全を期します。 航続力の長い吹雪型対空と秋月型  空からの攻撃にも備え輸送船護衛に護衛空母も付けます。


目障りな マニラ  アパリ シンガポールの航空隊は高雄基地からの四特急降下爆撃機の支援も受けて沈黙させます。

潜水艦出没多数  しかし、被害は小破の二隻のみ

目標の四拠点は天候不良で二週間も上陸戦ができませんでしたが 空爆により敵を殲滅し ほとんど無血占領 予定通りです。
ですが 一か月弱要しました。
被害は座礁艦2隻のみ

② 仏印と同盟関係になる。  すぐに大部隊で敵が侵攻  全部隊サンジャックに撤退 サンジャックを要塞化し防衛を図る。
物資・兵器等を運び飛行場も広げる


③その後 太平洋で動きが。
米機動部隊が 空母3 戦艦5 他35隻ほどで攻めてきました。 クエゼリンが艦載機100機に急襲されました。 
高角砲を多数揃え迎撃機もあるため被害はほとんどなし、 ほとんどを撃墜
その後の哨戒で敵機動部隊を発見 クエゼリン・クサイ・ウエニトク・メジュロの各基地より徹底的に航続距離の長い四特で魚雷攻撃 約145機を失いますが、最終的に敵機動部隊を全艦撃沈できました。
まさに 真珠湾以上の大戦果です。しばらく米もおとなしいでしょう。  これが1942年3月

蘭印は占領した地帯に輸送船をおくり陣地の構築中です。

④パレンバンはクチンよりようやく上陸戦を行え 占領  空挺作戦を考えていたのですが、兵員を輸送できる航空機のことを勘違いしていたため開発もしていなかったことの気づき 上陸戦を行いうことにやむなくなりました。 

⑤シンガポールの占領の最終目標の前に 周辺を固めておこうとペナン コタバルの占領を優先します。

これでトントン拍子にシンガポール占領と行きたいところなのですが まだ占領したばかりのペナンとコタバルが大兵力によって上陸戦を仕掛けられます。 天候不良が続き 空母機動部隊が敵根拠地を空爆できません。 敵は天候不良を機に攻撃しているようです。数回の攻撃も死守命令により何とか防衛   支援の輸送が急務となりシンガポール攻略はまだ先になりそうです。
四特を配備したブルネイもサンジャックも空爆ができません。
こんな攻防が一か月
1942年4月

⑥ リンガ沖に敵艦隊出現   英豪の連合艦隊のようです。
これは空母機動部隊で徹底的に魚雷攻撃  戦艦1 巡洋艦5 駆逐艦6 二回の攻撃ですべて撃沈 
残念ながら英 空母と戦艦プリンスオブウエールズはいませんでしたが、英の東洋艦隊は半減したことでしょう。 
被害は流星14機のみ

⑦太平洋は静かでしたが、1942年5月になると あのドーリットル空襲が発生しました。 新潟がB25により爆撃されました。 四特の航続力を生かした策敵により 敵攻撃部隊を太平洋洋上に発見   各基地の四特により徹底的な魚雷攻撃により
空母2 戦艦2 他巡洋艦 駆逐艦 輸送船等 40隻を すべて撃沈   四特も95機ほど失いますが 恐るべき四特の攻撃力  敵も唖然としていることでしょう。 太平洋方面には日本艦隊は皆無なんですから。    大戦果です。
1942年 5月

⑧相変わらずシンガポール攻略は悪天候が続き行えず、 コタバルがまた攻撃されて防衛するのみ 敵の部隊のせん滅を空母機動部隊で接近して空爆しますがあまり効果なし こんな展開でまた一か月経過します。

ようやく民度も上がってきた原油・製油所の拠点に輸送船を派遣し原油を日本へと運ぶ輸送作戦を始めることができるようになりました。 順調に行ってほしいものです。もちろん 護衛は忘れていません。 駆逐艦8護衛空母1 を付けます。

⑨ 1942年7月  ホロムシロに敵上陸部隊来襲  上陸戦は死守命令です。 敵はあっさり撤退
青森の四特と通過空爆を実施した横須賀の四特、 ホロムシロの艦爆と配備しておいた戦艦1と巡洋艦1でで敵上陸部隊全艦撃沈
輸送船12駆逐艦20     大戦果です。

(時間が無くなりました。続きはまた次回)
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煩悩おやじ

Author:煩悩おやじ
元々はサラリーマン 十数年前に第二の人生で東京で飲食店を開業して10年 気が付いてみれば今度は第三の人生を海外でやってます。 海外での生活ならではの・・・あるいはこの年齢独特の煩悩に苦しみ・・・徐々に悟りの境地に近づきつつあります。
  この国(国名は明かしません)に来て7年以上が過ぎました。

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